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コメデジ・トーク

(はつらつトーク2021)新型コロナ禍、挑戦重ねピンチをチャンスに!

「公明新聞」2021年5月15日付

 長期化する新型コロナ禍は、外食をはじめ多くの産業に深刻な影響を及ぼしています。かつてない危機に直面する日本社会が逆境をハネ返すために今、何が求められているのか。浮き沈みの激しい外食業界の中で、長年にわたり経営トップを務めた吉野家ホールディングスの安部修仁会長と、公明党副代表の北がわ一雄衆院議員(次期衆院選予定候補=大阪16区)が語り合いました。

■“オヤジ”の人材育成に感謝(安部)
■創立の精神貫く組織は発展(北がわ)

 北がわ一雄氏 今や日本の国民食として愛されている牛丼ですが、その地位を確立するために牛丼チェーン「吉野家」が果たした役割は非常に大きいと思います。その吉野家の社長として、20年以上にわたり指揮を執られた安部会長ですが、ご自身の牛丼との出会いはいつ頃だったのですか。

公明党副代表、衆院議員(次期衆院選予定候補=大阪16区)
公明党副代表、衆院議員(次期衆院選予定候補=大阪16区)

 安部修仁氏 福岡の高校卒業後、元々はプロのミュージシャンをめざして上京してきましたが、その傍らで始めたアルバイトが吉野家でした。理由は他よりも時給が一番高かったからですが(笑い)。それまでは牛丼なんて食べたこともありませんでしたけど、「東京には、こんなにもうまいものがあるのか」と感激して。まかないで出る牛丼が待ち遠しく、毎日のように食べても飽きなかったです。

吉野家ホールディングス会長・安部修仁氏
吉野家ホールディングス会長・安部修仁氏

 北がわ 飽きのこない味が吉野家の“ウリ”ですよね。私も若い頃から随分とお世話になっています。

 アルバイトから吉野家でのキャリアをスタートされ、程なくして22歳の時に正社員に。そこで安部会長が“オヤジ”と慕う当時の社長・松田瑞穂さんに出会われるんですね。

 安部 はい。吉野家は1899年(明治32年)創業で、オヤジは終戦から間もなく家業を継いだ2代目です。戦後の焼け野原の中で立ち上がり、東京・築地市場にあった創業店から再出発。“外食元年”と呼ばれる1970年前後から本格的に店舗をチェーン化し、現在の礎を築いた、いわば事実上の創業者です。

東京・築地市場にあった吉野家の第1号店(写真は1960年代)
東京・築地市場にあった吉野家の第1号店(写真は1960年代)

 北がわ 松田社長はどんな人物だったのでしょう。

 安部 戦地から復員した人間だからこそ「若い人を育て、日本の復興に役立てないといけない」との思いが強くあったんだと思います。オヤジはよく「利益が出たら、まずは人材に使いたい」と周囲に語っていたそうです。組織を健全かつ強固なものにするため、その源となる人材の育成に心血を注いでいましたね。

 私自身、当時の月給よりも高い外部講師のセミナーに毎月通わせてもらい、社内での実務教育と併せて経営の基礎を教わりました。

 北がわ 人材を大切に育ててきたからこそ、今の吉野家の発展があると分かるエピソードですね。私ども公明党も結党以来、「大衆とともに」との立党精神を堅持してきました。分野は違いますが、創立の精神を大切にするという点で非常に共感を覚えます。

 安部 政治家・後藤新平の言葉を借りるなら、「金を残すは下、人を残すは上」を地で行った人です。感謝しかありません。

■逆境の時こそお客さま第一(安部)
■命と暮らしが政治の最優先(北がわ)

 北がわ ところで、今の若い世代の方々は知らないかもしれませんが、吉野家は41年前、外食分野では初の会社更生法の適用を受け、倒産した経験があります。この時の逆境をいかに乗り越えたのでしょうか。現在にも通じるヒントがあるように思います。

 安部 オヤジが従業員たちにたたき込んだ「マスト」(必須)と「ネバー」(禁止)を踏まえ、自身に与えられた役割をいかに認識し、発揮するか。根本はこれに尽きると思います。なぜなら、吉野家に来店されるお客さまは、いつもの味とサービスを求めているわけで、吉野家がつぶれるかどうかなんて関係ないからです。結局、私たちの仕事は「誰のため」「何のため」なのか。お客さまの期待を裏切らないことが第一義です。

 北がわ 私たち政治家も「国民にとって有益か否か」という政策判断の基軸を常に肝に据えておかねばなりません。なかんずく、新型コロナ禍のいま、苦境に立たされている方々の命と暮らしを守ることが政治にとっての最優先課題です。

 安部 あとは、安全性最優先の再建においては、数多くの選択肢を提示し、遠慮のない議論を交わすことが重要だと学びました。管財人として再建をリードしてくださった弁護士の増岡章三先生には、物事を多角的に見る立体感を養っていただきました。この時に培った経験があったからこそ、私が社長在任中に発生したBSE(牛海綿状脳症)問題にも、ひるまず立ち向かえたと思います。

 北がわ 2003年12月に米国で初のBSE感染牛が確認され、輸入停止に。吉野家は約2年半にわたり、牛丼の販売停止を余儀なくされました。

 安部 オヤジが10年掛かりの試行錯誤の末、創り上げた吉野家の味にマッチする牛肉は米国産しかありませんでしたから。と同時に、店をつぶしては仕方ないので、豚丼を開発。牛丼がなくても収益を上げられる体質に変えていきました。

 北がわ 06年9月、待ちに待った牛丼の販売再開の日が訪れます。その直前、一通の手紙が安部会長のもとに届いたそうですね。

 安部 はい。息子さんを亡くしたお母さんからでした。どうやらその息子さんが吉野家の牛丼が大好物だったそうで。「牛丼ファンのために頑張ってください」との一文とともに、封筒に200万円もの寄付金が同封されていました。

 名前も住所も分からず、結局お返しすることはできませんでしたが、牛丼再開の決起集会でこの手紙を紹介し、当時の全店長1000人に手紙のコピーと2千円札を配りました。今も多くの従業員が肌身離さず大事にしています。本当にありがたい話でしたね。

■心ある議員多い公明に信頼(安部)
■雇用の受け皿 断じて守る(北がわ)

 北がわ コロナ禍で奮闘される多くの飲食事業者の方々に希望を贈る素晴らしいエピソードですね。

 政府としてもこれまで、事業継続と雇用維持を支える政策を矢継ぎ早に打ってきました。例えば、企業が従業員に支払った休業手当に助成する雇用調整助成金(雇調金)については、特例措置と期間延長を実現。やはり、外食産業は日本の雇用の大きな受け皿なので、ここを守り抜くことが、お一人お一人の暮らしを守ることに直結します。

 安部 ピンチをチャンスに変えていくために、現場の事業者たちは悪戦苦闘しながらチャレンジしています。雇調金など公明党が率先して動いてくれ、その背中を押してくれるのは本当にありがたい限りです。

 北がわ 長期化するコロナ禍ですが、この危機を乗り越え、さらにその先の未来に向け、政治に求められるものとは何か。頭から離れない課題です。

 安部 うちの社員によく言う理想のリーダーの3条件として、①人を大切にする②役に立てるスキル③未来を創造するリスクテイク――があります。相手が自分に何を求めているのかを正しく理解し、人の役に立つことを自分の喜びとする精神の醸成が大切です。そのためには能力もないといけません。その上で、ビジョンを示し、未来のために現状を否定する勇気も重要だと思います。

 北がわ 政治の舞台に身を置く一人として、大変勉強になります。

 安部 北がわさんをはじめ、公明党には心のある議員が多いです。やはり、政治には「信頼」が一番大切です。口ではうまく言う政治家はたくさんいますが、公明党の皆さんには、実行してきた事実の連続性と蓄積があり、そこに“信頼の証し”が宿ると思います。情報が氾濫し、極端な言説が飛び交うネット社会にあって、公明党のような集団は重要です。ますますの活躍を切に願っています。

 北がわ 過分な評価、ありがとうございます。安部会長も言われた「ピンチをチャンスに」との言葉の通り、コロナ禍の一日も早い収束と、その先の未来も見据え、国民の期待に応えられるよう全力で働きます。

 あべ・しゅうじ 株式会社吉野家ホールディングス会長。1949年、福岡県生まれ。高校卒業後に上京し、吉野家でのアルバイトを経て正社員に。80年に倒産した吉野家の再建を主導し、92年に42歳の若さで社長に就任。2014年に同ホールディングス代表取締役を退任し、若い後進に道を譲る。著書に『大逆転する仕事術』(プレジデント社)などがある。